勉強の「はきりじか」

勉強

今回は私が大学生時代に思いついた、勉強に関する5つのプロセス「はきりじか」について語っていきたいと思います。

「はきりじか」というのは、人が何かを学んで習得するまでに通過するプロセスの頭文字を並べたものです。その単語自体には何の意味もありません。世の中に存在する言葉ではないので少々覚えづらいですが、内容を理解してもらえれば十分ですので、覚えなくても大丈夫です。

「はきりじか」が表す5つのプロセスとは以下の通りです。

は:発見する

き:既視感を覚える

り:理解する

じ:受容する(受け入れる)

か:慣習となる

最後の「慣習となる」については、しっくりくる表現が思いつかなかったので適当に決めました。後ほど詳しく説明しますので、うまい表現を思いついたら置き換えてもらってかまいません。

勉強するときは常に上の5つのプロセスを意識して、この順番で人は物事を学ぶのだということを理解していただけると幸いです。

それでは一つ一つ詳しく見ていきましょう。

は:発見する

勉強ってなんとなく最初はまず理解しないといけないって思われがちです。新しい内容はまず理解してから、次に覚えるのであるという認識を持たれているかもしれません。

しかし、新しい内容をすぐに理解することは容易ではないですし、その必要もありません。まず最初にやること、もっというならやってしまうことは、発見です。

これは学問の歴史とも同じなのですが、人は物事や現象を理解する前にまずそれを発見します。そういった物事や現象が存在するのだということを、初めて知るわけです。これを私は発見だと呼んでいる訳なのですが、発見とは今まで誰も知らなかったことを新たに見つけ出すことを基本的に意味しますが、ここでは自分が今まで知らなかったことを見つける、あるいは知ることを意味するものとします。

勉強というのは知識を得ることです。自分がこれまで知らなかったことを新たに知ることになるのですから、それは発見になるわけです。

発見とはすなわち、新たな情報を目にする、教わることだと思ってください。

この段階ではまだ理解していません。あくまで見たというだけです。参考書でも、動画でも、黒板でもなんでもいいです。

自分が今まで知らなかった新たな情報を「見た」にすぎない状態であることを理解してください。

き:既視感を覚える

発見の次の段階は、「既視感を覚える」です。

人は一度見た情報を再度目にしたとき、「あ、これは見たことあるぞ」となります。別に理解してなくても、覚えていなくても、見たことはあるという感覚は生じます。これを「既視感を覚える」段階であるということです。

例えばちょっとテレビで見たシーンとか、小説のある場面とか、行ったことのある場所の風景とか、はっきりと人に説明したり、頭の中に思い浮かべることが難しかったとしても、もう一度同じものを見たら人はなんか見たことあると感じるものです。勉強についても同じです。

一度発見してしまえば、それは自分の中に感覚として残ります。

別に覚えなくてもいいです。理解しなくても大丈夫です。

一度発見したという状態を作ってしまえば、自然とこの段階に至ります。特段この段階に移るためにやらないといけないことはありません。最初の「見たという状態を作る」ことさえ達成できれば十分です。

り:理解する

ここでようやく理解することになります。

一度発見し、見たことがあるという状態になれば、理解することができるようになります。とはいえ、理解することはそう簡単ではありません。内容が難しければ、それだけ理解するのも大変です。しかし大事なのは、あらかじめ見たという状態を作ってしまえば理解することのハードルが下がるということです。

「初めて見た内容を一度で理解する」ことより、「一度見たことがある内容をちゃんと理解する」ことのほうがずっと楽だと思います。この理解するっていうのが、勉強をする上での最大の難所であり、多くの人が勉強嫌いになる原因だと思います。新しい内容を理解し、それをひたすら繰り返すというのははっきり言って滅茶苦茶しんどいです。なので、新しい内容を理解するのではなく、既に見たことがあり知っている内容を理解する方向に切り替えようという話です。

既に見て知っている内容なら、きっと理解するのはそこまで大変ではないでしょう。

と思ったので、理解するというプロセスを後回しにして、まずは見るという段階を設けました。最初に理解しようとするのはやめて、いったん見たという状態を作ってそれから理解するようにしましょう。

じ:受容する(受け入れる)

理解したら次の段階は「受容する」、つまり受け入れることです。

これはどういうことかといいますと、新しい知識を得たら、それはそういうものなんだと納得してしまうということです。実際、勉強していてなんとなく理解したという気になっても、忘れてしまったりとか、しっくりこなかったりということがあります。

これは当然の話で、自分がその内容を納得していない、受け入れていないがためにそうなってしまうわけです。受容するというのは、新しい知識を自分のものとして確実に定着させることです。人から何かを教わったり、本を読んで得た知識は、「誰かがこう言ってた」とか「本にはこう書いてあった」みたいに、「これは私の持つ知識です」という感覚にはならないと思います。これは情報が新ければ新しいほど、自分の知識ではないという感覚が強くなります。

しかし、例えば「1+1=2」ですと言うときに、「1+1=2」だと昔学校の先生が言ってましたという言い方はしないと思います。これは情報が古く、完全に自分の知識として定着しているからこそ、そういった言い方が可能になります。

つまり、「受容する」とは、これは完全に私の知識ですと言える状態にすることを意味します。

まあ要は復習が大事ということですね。一度理解したらそれで終わりではなく、反復させることで知識を定着させます。ただ、もうすでに理解した内容なので、再度理解する必要はありません。自分はこれを理解しているといことを、何度か確認するだけで十分です。うっかりこれをおろそかにしてせっかく理解した内容を忘れてしまうことはあるかもしれませんが、理解することに比べたら知識を定着させることは非常に簡単です。

か:慣習となる

最後は「慣習となる」です。

慣習という言い方が適切かどうかはかなり微妙ですが、一応こういう表現にしておきます。意味としては「当たり前にしてしまう」ということです。

理解し、定着させてしまえば、その知識はもはや当たり前の情報であるといえます。先ほどの例でいうと、「1+1=2」って完全に当たり前ですよね。別にこれを覚えているというわけでもなく、皆知っている普通のことだと認識されています。

日本一高い山は富士山とか、日本の首都は東京だとか、新幹線は車より速い、みたいなことって別に覚えるようなことではないですよね。ただの当たり前です。

要は新たに得た知識を、もう何の疑問もなく、人に聞かれたらすぐに答えられるくらい当たり前のものにしてしまうということです。というか、これまでの4つのプロセスを経ていれば、自然とそうなります。知識は古ければ古いほど当たり前になっていくのです。

これはもう当たり前ですと言えるようになれば、終わりです。

もうその内容についてあなたは何もする必要はないでしょう。この状態になれば、勉強は完了したといえますし、この状態になることを勉強するときの目標にするのがいいと思います。

まとめ

いかがでしたか。勉強を行う上での5つのプロセス、「はきりじか」について語ってみました。

どう勉強したらいいか分からないとか、勉強に行き詰まったと感じたときは、この記事の内容を意識すればスムーズにいくと思います。ただ、勉強ができるようになる方法とか、賢くなる方法というわけではないので、結局は自分がどれだけ勉強するかが重要です。

一つ補足として、英単語のように暗記するタイプのものは、「理解する」という過程をすっとばして構いません。「はきりじか」はあくまで基本であり、臨機応変に自分でアレンジしてもいいかと思います。

以上です。この内容がブログを読んだ皆様のお役に立てれば幸いです。

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