ここしばらく更新をさぼってました。すいません。
3ヶ月ほど究極に怠惰な生活をしていたので、ブログのことが完全に頭から消え失せてました。
久々にいろいろと考えることができるようになってきたので、また語っていこうかと思います。
この記事で取り扱う内容は、子供を作らないという選択についてです。子供を作らないことは一般に間違っていることとされています。あるいは劣っていることだと。
だから子供を作らないことに対して何かしらの理由を述べなければならない状況になっています。反出生主義も子供を作らないことをいかに正当化するかということが目的になっている側面があるかと思います。
しかし、考えれば考えるほどに子供を作らないことを正当化する必要性はないのではないかという気がしています。
そもそも子供を作ることが間違っていて、作らないことが正しいのに、正しいことをするのに一々御託を並べないといけない状況がおかしいと感じます。
子供を作ろうとする人間が、なぜ自分が子供を作っても許されるのか、その大義名分を述べなければならないと私は主張します。間違っていることをするのだから、それを正当化できる理由を述べる義務があります。
なぜそう思うのか、詳しく話していきましょう。
子供を作ることが間違っているという前提について
子供を作るというのはどういうことかということを端的に申しますと、
私は幸せになりたいから、どうぞ子供として生まれて努力して私に尽くしてください
ということになります。
自分のために他人に努力することを強要することが、どうして正しいと言えるのでしょうか。子供からすると親のためにわざわざ生まれてきて、努力して社会に貢献することを強要されるいわれはないわけです。
もっと言うなら、
どうしてあなたを幸せにするためにわざわざ生まれてこないといけないんですか?
という当然の疑問を持たれても仕方が無いことをしているわけです。
子供を作ることの何が一番間違っているかというと、己の私利私欲のために他人を無理やり巻き込んで、努力や社会貢献を強要し、不幸になるリスクを無条件で負わせることです。
自分の欲を満たすために他人に人生を強要することが正しいわけがない
これが私の主張です。
間違ったことをするには大義名分がいる
人が間違ったことをする場合、大義名分が必要です。
例えば、万引きをする場合。お金がなく生活に困っているとか、自分の衝動が抑えきれなかったとか、そういった何かしらのやってしまった言い訳をします。
間違ったことをするときは何とかしてそれを正当化しようとします。
出生についてはいかがでしょうか?
自分はこういう理由で仕方なく子供を作るのだと述べている人はいますか?私は見たことがないです。それを間違っていると認識していないから、正当化する必要性を感じていないのでしょう。
逆に自分はこういう理由で子供を作りませんとわざわざ主張している人はいます。恐らく人からなぜ子供を作らないのか尋ねられたか、暗に子供を作らないことが間違っていると認識しているということなのでしょう。
ただ、このブログを見てくださった方には是非分かっていただきたいことがあります。
多くの人がそう思っているから正しいというわけではない
ということです。
人っていうのは意外と考えていないと感じています。誰かがそう言っていたから、そんな気がしているだけでしょう。
だって、子供を作らないのはおかしいと5人くらいに言われたら、なんかそんな気がするじゃないですか。反出生はおかしいという気が。
でも事実とか正しさっていうのはそういう尺度で決まるものではないと思います。科学がそうであったように、皆が思っていることと異なることが事実だったなんてのはよくあることです。
正しさというのは、自分の欲や都合、性格、立場、環境などを排除して初めてたどり着けるものなのです
私利私欲にまみれた浅はかな連中が、子供を作ると幸せになれるよ、だから出生は正しいなんて言ったところで、そんなものは事実には程遠いわけです。
昔の頭の悪い人たちが、自分はキリスト教だから天動説が正しいなんて間違ったことを言っていたのを考えると、事実に対しては自分が置かれている状況を無視して真摯に向き合う必要があると感じます。
それは逆もしかりです。自分が苦しいから、不幸だから反出生が正しいのだと主張するのも間違いです。子供を作ることが間違っているかどうかは、自分が幸か不幸かには何の関係もありません。
事実とはそういうものです。
子供を作ることが間違っているのだから、子供を作らないことに何の理由もいりません。言い訳も大義名分もいりません。
自分が正しいことをしているのだという認識さえあれば十分です
子供を作ろうとする人間こそがその理由を述べるべきです。なぜ子供がその人を幸せにするためにわざわざ生まれてこないといけないのかを。
子供を作らないということが当たり前
子供を作るというのは能動的な行動であり、作らないというのは受動的です。
別にあえて作らないようにしているというわけではなく、子供を作ろうとしなければ結果的に作らないことになっているというだけです。
意図的にやらないようにしているわけではないです。
例えば、私はサッカーをやっていません。でもそれはサッカーをあえてやらないようにしているのではなく、サッカーをそもそもやろうと思ってないからやってないというだけのことです。
自分がやっていないことなんて世の中に無数にあります。出生はその中の一つというだけのことです。
ましてや出生は間違いなわけですから、やらないのが普通です。
やるべきでないことをやらないなんて、当たり前です。それについてとやかく言われる筋合いはありません。
別に子供を作らないことが不幸だとも思いませんし、あれこれ言ってくる人間は欲にまみれた馬鹿な奴だとでも思っておけばいいです。
自分が正しいと感じることが実践できるだけで十分でしょう。
お互い良い人生を送っていきましょう。
コメント
全く同感です。
自分の為に子供を作る人間はいても、子供の為に子供を作る人間はいない。
人類存続の為〜未来に種を残すため〜などと言われても、人類はず〜っと同じ茶番の繰り返しをしてきて結局最後に何があるのか?と思ってしまいます。
そして
多くの人がそう思っているからといって、それが正しいわけではない。
本当にそう思います。
反出生への反論では「反出生は正しくないから支持者が少ない」とか言いますが、支持が少ないから間違いとはいえません。
“苦しいから、不幸だから反出生が正しいのだと主張するのも間違いです。子供を作ることが間違っているかどうかは、自分が幸か不幸かには何の関係もありません。”
この部分も本当にそうだと思います。
アンチがよく言うような「お前が不幸だから反出生主張しているだけだろう」だとか、逆に「元反出生主義だったけど私が不幸じゃなくなったからやめました!」みたいな人もどちらも間違っていると思います。
自分が不幸だろうが幸せだろうが、子供がどう思うかなんてわからない。
不幸でも反出生になるどころか、不幸だからこそ子供欲しがるという人もいますしね。
やはり出生の話に個人的な幸不幸を挟むべきではないと思います。
コメントありがとうございます。
恐らく世の中の多くの人間が、反出生主義は個人の思想や哲学だと思っているでしょう。
だから、自分には関係ないから子供を作ろうだとか、考えを押し付けるなだとか言うわけです。
ただ、これは考えてみたら当たり前のことなんですが、反出生主義というのは思想とか哲学ではありません。
「子供を生むことが間違っている」というのは論理的に導き出された結論であり、明確に事実と言えるものです。
なので、子供を生むことがどういうことかということを真剣に考えた人なら必ずこの結論にたどり着きます。
その人が裕福だとか貧乏だとか、賢いとかそうでないとか、幸福か不幸かということには全く何の関係もありません。
どんな人間であっても必ず「子供を生むことが間違っている」という結論にたどり着きます。
子供を生むことは素晴らしいと主張する人は、子供を生むことがどういうことが良く分かっていないか、嘘をついているかのどちらかです。
そして、そういった子供に対する思いやりの浅い人達が愚かにも出生という理不尽を押し付けてくるわけです。
本当に全人類がこの先永遠に子供を作らなければいいのにとつくづく思いますし、そうならないのが残念でなりません。