別にいい大学に行っていい企業に就職することが幸福ではないという話

あまり長々と話すようなことでもないので、今回は手短にいきます。

自分でいうのもなんですが、私はいわゆる難関大学と呼ばれる大学を卒業してそれなりに有名な企業で働いています。

こういう人生って一般的な大人が子供を産むときに、自分の子供はこういった人生を歩んでほしいと考えているようなものだと思います。恐らく、そういう人生が無条件で幸福なのだと思い込んでいるのではないかという気がします。

でも、よくよく考えたらそういう人生が幸せであるという根拠なんてどこにもないです。

なんとなく漠然とそういう人生は(相対的に)幸せだろうなと思われているというだけのことです。誰も保証してないし、そもそも働かないといけないこと自体が不幸でしょ。

現に私は自分が幸福だとは微塵も思っていないわけですし。日々働きたくないと思いながらも、惰性で仕事してるだけです。もう会社の人間関係とかうんざりですよ。

ただ働いてお金を稼いで生きていくだけのことがなぜ幸せになるのか甚だ不思議ですね。

しかし親と呼ばれる存在は、自分の子供がそうなることを期待して産むわけですよね。頭がおかしいとしか思えないです。

私は学生時代必死に勉強してなんとかいい大学に入って、就職活動も頑張って今の状況を手に入れたわけですが、それでこんな思いをしているのです。充実感なんて一つもありません。

幸福になれていない時点で、私は親や会社、広く世の中から何一つとして恩恵を受けておりません。世の中の私に対する貢献は、私が今も生きているということにしか役割を果たしていません。

その生きるということが私にとって不都合で不快なものである以上、世の中は私に何の恩恵ももたらしてはくれませんでした。

にも関わらず私は労働をし、税金を納め、社会に貢献していることになります。それを強要されているし、きっとしてくれるであろうことを前提として生まれてこさせられたのです。世の中のなんと不条理なことか。

親の人生をちょっと充実させるために自分がこんなことをやらされているのだと思うと、怒りを感じますね。

皆さんはいかがでしょうか。

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