私は思春期の頃、人はなぜ生きなければならないのかを考えていました。どうせ何十年か生きたら人はいつか死にます。
どうせ死んでしまったら、生きている間に自分が何をしたとしても同じです。
何か残したとしても、いずれ失われてしまいます。
だったら何のためにわざわざ働いてお金を稼ぎ、できるだけ長く生きようとするのでしょう。
そうすることに一体何の意味があるのでしょうか。
それがずっと疑問で、今死のうが数十年後死のうが一緒だと思っていました。
別に死にたいとまでは思いませんでしたが。
しかし今は少し違った考え方をしております。
人生に意味なんてそもそも必要ないというのが今の考えです。
世の中には自分の人生に意味がないと考えて、苦しんだりあげくには自殺してしまう人がいます。
この記事では、そもそもそんなことは考える必要性すらないという話をしていきたいと思います。
人生の意味とは
人がなぜ生まれてくるのかというと、それは親の都合です。
親は自分にメリットがあるからこそ、子供を作ろうとします。
その結果人は生まれてくるので、生まれるという行為そのものには意味があります。
では生きる意味とはなんでしょう。
一つは親が子供の存在を必要としていることがあげられます。
子供がいることによって、親は自分が働いてお金を稼ぐことに意義を見出します。
子供と遊びに出かけたり、子供の成長を気にすることによって、ただ働いてお金を稼いで生活するというだけの味気ない人生を避けようとしているのです。
要は人生に付加価値をもたらそうとしているというわけです。
そのために子供の存在が必要であり、それが生きる意味であるといえます。
しかしそれは親の存在を前提としたものであり、その人自身にとっての生きる意味ではありません。
これがあなたの生きる意味ですよと言われても、しっくりこない人もいるでしょう。
では他に何があるかというと、例えば自分の仕事が人の役に立っているとか、社会を維持する上で必要不可欠なものであるというのが考えられます。
あるいは、将来やろうとしていることが人の役に立つ可能性があり、それを達成しようとしている場合も、意味があると言えるでしょう。
そういった仕事についていない人、そもそも仕事をしていない人はどうでしょう。
生きる意味はあるでしょうか。
また、人の役に立つ仕事をしていたとしても、死んでしまったら後には残りません。
どうせ失われてしまうことのために生きるのは、本当に意味があると言えるのでしょうか。
人生に意味などないと断言しても差し支えないかもしれません。
どんな成果を残しても、1億年後には全て無意味です。
そもそも意味が必要なのか?
あなたはなぜ生きてるのですかと聞かれたら、家族のためとか仕事のためとか、あるいは自分のためと答える人がほとんどでしょう。
人は何か意味や目的があって生きていると考えます。
しかし実はそうではありません。
それらは自分が生きたいと考える理由であって、生きている理由ではないです。
人が生きている理由は、非常に単純です。
死んでないからです。
人は死なない限り生きていきます。
病気になったり、事故に会ったりしなければ、わざわざ自殺しない限り死ぬことはありません。
人は生きる意味があるから自殺をしていないのでしょうか。
そんなわけはないですよね。
何かをしないことに理由はいりません。
理由がないからしないだけです。
例えば朝白ご飯を食べたとします。
なぜパンを食べなかったのですか?
別に理由はないです。ただ食べなかっただけです。
今日は映画を見ていません。
なぜ見なかったのか?
ただ見なかっただけで、見ない理由があったわけではないです。
自殺も同様です。
理由もないのに、自殺するはずがないでしょう。
生きるのに理由は必要ありますか。
ただ死んでないから生きてるだけなのに、理由もくそもないでしょう。
人生なんてそんなもんです。
人が死なない条件
基本的に人は食事と睡眠さえあれば死ぬことはありません。
そしてその食事と睡眠は明確な目的があってなされるものではなく、あくまで生物の本能に基づいて行われています。
要はお腹がすいたら飯を食い、眠くなったら寝るというだけです。
それだけであれば人は死にません。
自分が生きたいから、食事や睡眠を行っているかというとそうではないということです。
お腹がすいたとか眠いといった欲求を解消するために行っており、それ以外の目的は何もありません。
それをした結果生きているに過ぎないのに、生きる意味とかを考えるのはすごく馬鹿馬鹿しい行為です。はっきり言って無駄です。
人は本能に従うだけで生きることになるので、生きるという行為は受動的で、死ぬというのは能動的な行動です。
もし死のうとしているのだとしたら、わざわざ死ぬ理由のほうを考えないといけない気がします。
なぜ自分は死ななければならないのかを考え、それを納得できて初めて死ぬことが正当化されるのではないでしょうか。
死ぬ理由ってどんなもの?
人が自殺しようと思った理由にはどんなものが考えられるでしょうか。
生きるのがつらくて死にたいから?
何か大きな失敗をして死ななければならないと実感したから?
後者については明確に否定します。
人が死ななければならないほどの出来事って、どれほどのものなんでしょう。
例えば、大勢の人間を殺害したとか、テロ行為を働いたとかがあります。
この場合は司法によって死刑が宣告されるので、死ななければなりません。
しかし、それを執行するのは国なので、自殺することにはなりません。
もし自分が死ななければならないと感じているのなら、それは間違っているので考えを改めてください。
死にたいと思っている場合はどうでしょうか。私は死にたいと言っているのはすべて嘘なんじゃないかと思っています。
人は生きるための行動しかできないようになっているからです。
人は死ぬための行動はプログラムされていません。
知識として、何をすれば死ぬのかを知っているだけです。
それを実行するきっかけは、死ぬことで何かを解決できると考えているからです。
死ぬことで、現状から逃れられるし、この先起こるかもしれない様々な問題を回避することができます。
そういった「解決の手段」として自殺するのであり、死にたいという欲求があって、死ぬことを目的としているわけではないです。
もし自分の自殺欲求が生存欲求よりも高いと自称するのならば、それを調べる方法があります。
それは一週間徹夜チャレンジに成功したら自殺するというものです。
一週間徹夜するのは容易ではないですが、もし本当に死にたいと思っているのであれば不可能ではないと思います。
なぜこれで自殺欲求が生存欲求よりも強いことが調べられるのかを説明します。
睡眠は人が生きるうえで必要不可欠な行動です。
あなたが睡眠をとろうとするということは、できるだけ生きようとしていることを意味します。
私が提案する一週間徹夜チャレンジは、一週間徹夜して初めて自殺する権利が得られるというものです。
もし自殺欲求が生存欲求よりも強いとすると、自分が死ぬための「一週間徹夜する」という行動は、自分が生きるための「睡眠をとる」という行動よりも優先されるはずです。
それが達成できないということは、やはり生存欲求が強いということになります。
この一週間徹夜チャレンジによって、自分の自殺願望がどの程度のものなのかを調べることができます。
もし死にたいと思うのであれば、ぜひチャレンジしてみてください。
まとめ
この記事では人が生きていくのにそもそも意味や理由は必要ないということ、食事と睡眠さえあれば人は死なないということ、死にたいというのは嘘であることを述べました。
現状抱えている問題を解決するのには何の役にも立ちませんが、生きることを難しく考える必要はないことを分かってもらえるだけでも十分です。
別に気楽に生きたっていいでしょう。
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