私は開き直りの精神を身に付けることで、メンタルが強くなりあらゆるストレスから解放されました。
他人の評価や言動が全く気にならなくなり、誰が何を言ってもどうでもいいと思えるようになります。
自分の行動で誰かに影響が及んだり、ミスを冒してしまっても、罪悪感はないですし、何なら他人が悪いとすら思ってます。
自分の能力が他人より劣っていてもかまわないですし、わざわざ人と比べて自分がどうかなんて気にすることは全くないです。
不安や悩みはすべて空想でありフィクションだと思っていますし、将来自分がどうなろうと知ったこっちゃないと思っています。
自分にメリットがないことは基本しないですし、損得勘定でものごとを判断します。
自己中な奴だと思われるかもしれませんが、人が自己中なのは当たり前なので別に問題ありません。
開き直りの精神を身に付ければ、自分の身に起こることはメンタルに全く影響しないという事実に気づくことができます。
これを心から実感することでストレスはなくなります。
そんな私の口癖は、
「自分は悪くない、他人が悪い」
「人が自分をどう思うかはその人の自由」
「メリットがないのにやるわけない」
「将来どうなろうとそれを受け入れるだけ」
「人はどこまでも自由」
です。
自分は悪くない、他人が悪い
私は大学生のときに、とある実験装置を壊してしまったことがあります。
その装置は自分だけが使うものではなかったので、他の人の実験も止めてしまうことになりました。
定例会議の際に研究室のメンバーの前で指導教官から叱責されました。
しかし、私は自分が悪いとは全く思いませんでした。
なぜならどういう使い方をしたらまずいのかを教えてもらっていなかったですし、一人で長時間作業している中での出来事でしたので、そりゃミスもするでしょと思ってました。
事故が起こらないような予防がされていたわけでもなく、遅かれ早かれ私以外の学生が同じように壊してしまう可能性は十分にあると感じたので、反省することじゃないと結論付けました。
ミスというのは、それが起こりうる状況が既にあることが前提なので、特定の個人に責任はありません。
なので、何かが起きたときは自分が悪いかどうかではなく、他人が悪くないかどうかを先に考えて、どう考えても自分一人だけが悪いと言える場合にのみ反省します。
他には、就職活動の際にとある会社の面接に遅刻したことがありました。
ただ、その会社の敷地が広く、面接会場の位置が分かりにくいというのが遅れた理由だったので、別に自分は悪くないと思いました。
また、面接に遅れた時点で落ちることが確定したと思ったので、その会社の悪い部分を探して別に落ちてもいいやと切り替えれるようにしました。
自分が悪いときはだいたい他人も悪いので、気にしなくていいというのが私のスタンスです。
人が自分をどう思うかはその人の自由
人の思考や行動はコントロールできません。
私が何かを言ったとしても、それを聞き入れるかはその人が判断して決めることであり、こちらに主導権はありません。
私の意見をわざわざ聞いてあげる理由もないですし、そのメリットもないです。
もし私の言うことに従うことがあるなら、それはあくまでその人の善意です。
よく、有名人がネットの誹謗中傷に苦言を呈すことがあります。
でもこれは正直言って全く意味がないんですよね。
彼らにはその有名人の言葉に従ってあげる理由もメリットもないので、誹謗中傷をやめさせることはできません。
私自身、人から悪口を言われたことは何度もあります。嫌われたこともあります。
ただ、それに対して私を良く思ってほしいとか、好きになってほしいとは感じませんでした。
仮に良く思ってほしかったとしても、それを決めるのは相手なので、お任せするしかないです。
なので、こちらは自分の思うように行動するし、それに対してどう思うかは好きにしてくれというスタンスでした。
他人がどう思うかはその人の自由なので、それに対してあれこれ言うのは前提からしておかしいということです。
メリットがないのにやるわけない
開き直りの精神において、行動の基準は常に「自分にメリットがあるか?」です。
何かを依頼されたり、何かをしようと思ったとき、必ず自分にメリットがあるかどうかを考えましょう。
メリットがなければやらなくていいです。
その場合、やれ思いやりの気持ちが足りないだとか、人間性に問題があるだとか難癖をつけてくる人もいますが、そもそもこちらにメリットがないのにやらせようとしていること自体がおかしいです。
何かを依頼するのであれば、その労力に見合う利益を提示しなければなりません。
その前提を守れないような人間は、他人に依頼をしてはいけません。
「他人に何を言われたか」と「自分がどうするか」は全く別の問題なので、切り分けて考えましょう。
他人のセリフを自分の行動基準にしてはいけません。
それをするメリットがあるか、この一点だけを考えてやるかどうかは決めましょう。
将来どうなろうとそれを受け入れるだけ
私が仕事を辞める際に、将来どうするのかとか何かやりたいことがあるのかと訊かれました。
なんとなく次に就職するとしたらこんな感じかなというのはありましたが、あまり深くは考えていませんでした。
また、ちまたでは独身のままだと年取ったときに悲惨なことになると言われています。
私自身、プライベートやら老後のことやらで人から不安視されることが多いです。
しかし、大事なのはこの先どうなるかということではなく、どうなったとしてもそれを受け入れる精神を持つことです。
私も昔は世間の人たちと同様に、大学に入ったら彼女ができるものだと思っていましたし、地元の友達とはずっと仲がいいと思っていましたし、就職したらずっとその会社で働くものだと思っていました。
でも実際は全く違いました。
彼女はできませんでしたし、地元の友達とは縁が切れていますし、会社は辞めました。
ただ、それで自分が不幸かというと、全くそんなことはありません。
今の状態がちょうどいいと思っています。
なぜなら、ただ受け入れるだけでいいということに気付いたからです。
どうなろうと、それを受け入れるだけで問題は生じませんでした。
まあこんなもんかと思うだけで、嫌な感情はなくなりました。
そしてこれは、今現在に限ったことではなく、将来についても同じです。
例え将来どうなったとしても、私はただそれを受け入れるだけでいいと思っています。
なぜ人が不幸になるのかというと、その人に理想の人生の型みたいなものがあって、それにはまらないことが不幸だと思っているからです。
理想の人生の型をスライムのように柔軟に形を変えられるものにしておけば、どうなっても不幸になることはないです。
もちろん、人に裏切られたり、身内が亡くなったりして一時的に極度のストレスにさらされることはあると思います。
それらもすべて受け入れてしまえばそれで終わりです。
開き直りの精神を身に付けるために大事なのは、何があっても構わないという心の準備をしておくことですね。
人はどこまでも自由
人の行動に制約はありません。
犯罪ですら、罰を受けることを許容するのであれば制約がないと言えるでしょう。
自由なので、誰にどう思われようとも自分がやりたいと思ってやったのであればそれが正解です。
逆に、何もしなくてもいいです。
何をしようと、どうなろうと全てが自由です。
他人に対して、いや自分に対してすら気を遣う必要はありません。
別にそれで後悔してもいいです。
後悔しないように生きようと人はよく言いますが、後悔しないなんて不可能です。
後悔というのはお釣りみたいなもので、一番ちょうどいい選択ができた時以外は基本あります。
なので後悔しない選択をするのではなく、自分が望む選択をすればいいんです。
人は自由です。
親、兄弟、先生、友人…誰であろうと、何を言われようともそれを聞き入れるかどうかはあなたの自由です。
言うことを聞くかどうかはメリットがあるかどうかで判断すればいいです。
何を見て、何を言い、何を考え、何を好きになり、何を嫌いになったとしてもすべてが自由です。
「人はどこまでも自由」
これが開き直りの精神の最も大事な考えであり、私の一番好きな言葉です。
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