ここでは皆さんにあらゆるストレスから解放される究極の極意「開き直りの精神」を伝授しようと思う。
この記事ではいつもと違ったこのような口調で語らせていただきたい。
世の中はストレスにまみれていることは周知の通りであろう。
そしてそのストレスと直に向き合って苦しむ人があまりにも多いのが現状だ。
困難や苦境にまっすぐ立ち向かわなければならないと考える人が多く、なかなか目を背けることができないでいる。
しかし、実はそのストレスと向き合う必要はないのだ。
ストレスを回避するある秘策がある。
それは開き直りだ。
開き直りの精神の本質は、人は何をしてもいいというところにある。
理屈なんかなくても、勝手に自分の行動を正当化してしまえることに気付けるかというのが肝である。
開き直るのは悪いことだと思っている人もいるかもしれない。
だが言わせてもらおう。開き直って何が悪いと。
見ず知らずの人間に自分の価値観や行動についてあれこれ言われる筋合いはない。
開き直りの精神について語っていく。
開き直りの4つの精神
開き直るにあたって、まず意識しなければならない重要な精神がある。これを私は開き直りの4精神と呼んでいるのであるが、これは開き直りの神髄であり常に念頭に置いておかなければならない。
この4精神について以下に記す。
1.人は迷惑をかけるものである
2.人とは常に自己中心的な生き物である
3.人は必ず失敗をする
4.人は自由である
人は迷惑をかけるものである
人は生きている限りかならず迷惑をかけることになる。
もし誰にも迷惑をかけたくないのなら、この世に生まれるべきではない。
人間の経済活動は地球環境を汚しているし、野生の動植物を勝手に採取して食している。
自分の縄張りを主張し、資源を独占している。
地球からすれば、人の存在は迷惑極まりないだろう。
人に対しても同様である。
子供は親のお金と時間を使ってもらわなければ生きていけない。
車を運転すれば、歩行者や自転車、他のドライバーに配慮してもらわなければならない。
病気になれば医者に面倒を見てもらわなければならないし、人気の商品やチケットを手にするとき、それを買えない人がでてきてしまう。
人は必ず誰かに迷惑をかけているし、そうしなければならない。
迷惑をかけないようにすること自体が根本的に間違っているのである。人に迷惑をかけるのは極めて当然の行為であり、何も問題はない。
だがそうはいっても、できるだけ迷惑をかけないようにするべきだと思われるかもしれない。
そんなことはない。
迷惑をかけられたくないなら、関わらないようにすればいい。
こちらが配慮することではない。
お互い迷惑をかけあって世の中が成り立っている。
自分も誰かに迷惑をかけられているわけなので、人に迷惑をかけて何が悪いということだ。
人は自己中心的なものである
人はどんなときも自分の利益を求めている。
人にやさしくするとか、人のためになることをやるというのは、一見すると自己犠牲のもと他人の利益を生む行為であると考えられている。
しかし、それは自分が他人から評価されたいとか、満足感を得たいという動機により引き起こされたものである。
したがって、自分の利益を追求していることには違いない。
自己中心的であることは悪いことだとされているが、自己中心的でない人などそもそも存在しない。
自分の人生において自分がする行動なのだから、自分の利益を目的することに一体何の問題があるのか。
受験や就職だって他人を蹴落とさなければならないのだから、自己の利益のために他者に不利益をもたらすことになる。
それが推奨されている時点で、自分ではなく他人を優先すべきという主張には無理がある。
しかも他人を優先すべきという考えがまかり通ってしまうと、自分を優先する人だけが一方的に得をすることになってしまう。
それは不公平である。
どう考えても、自己中心的であろうとすることに問題があるようにはとても思えない。
自分中心に物事を考えても大丈夫だ。
人は失敗をするものである
歴史とは失敗の繰り返しであり、失敗の積み重ねによって「失敗しない条件」を探ってきた。
一度失敗しても、それを繰り返さないようにすることが成功につながる。
誰しもが失敗をする。
一度ですべてのことを成功させられる人など存在しない。
失敗して何が悪いのか。
自分が持っている能力を発揮した結果失敗したわけで、失敗するのは当然のことである。成功しなければならないのだとしたら、それは自分の能力を超えた無理難題を要求しているに等しい。
要求そのものに問題がある。
人は自分が有している能力以上の結果を出すことはできない。
どんな失敗をするか、どれだけ失敗をするかが能力で決まっているというだけのこと。
失敗ではなく、自分の能力で得られたただの成果だ。
それに対して反省も後悔も必要ない。
修正するだけでいい。
何をしたって、終われば結局は単なる過去の記憶でしかない。
忘れてしまえば、無かったに等しい。
その程度のことに思い悩むのは無意味だ。
人は自由である
他人の意見、考え、主張、哲学。
それらはすべて他人のものである。自分のものではない。
人が自分に何かを言ってきて、押し付けようとしても、それを聞き入れて納得するかどうかは自分次第である。
「あの人にああ言われたから、そうしないといけない」なんてことはない。
ただその人がそう思って、それを口にしたというだけだ。
なぜ人の意見にこだわる?
何をするか、何をしないかは自分が決めることであって、他人の意見なんてのはどうでもいいじゃないか。
自分の人生なんだから、自分が思ったことや感じたことが全てにおいて正しい。
考え方なんて一人一人違っていいじゃないか。
どうするべきかをなぜいちいち他人に決められなければならない。
世の中には人間の理想的な型がある。
人とはこうでなくてはならないという共通した概念みたいなものだ。
それは例えば優しくないといけないとか、社交性がないといけないとか、明るくなければならないとか、賢くなければならないとか、背が高くお金を持っていて容姿が優れていなければならないとかである。
そういう人になることができるのは、その素質がある人だけだ。
素質もないのになろうとするから、苦しいと感じてしまう。
どうせ頑張ってもなれっこないのだから、最初からなろうとしなくていい。
優れた人間がたくさんいてくれると社会にとって都合がいいから、押し付けようとしているだけだ。
世の中にどんな価値観で、どんな見た目で、どんな能力を持った、どれだけ劣って汚れて腐った人間が、どれだけたくさんいても別にいい
どんなに人に迷惑をかけて、どれだけ嫌われて、馬鹿にされようと、開き直ってしまえばいい。
人は自由だ。
何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
誰に何を言われる筋合いはない。
あなたは、そのことに今まで気づいていなかっただけだ。
気づいてしまえば、もう何も思い悩むことはない。
開き直ることは誰にでもできる。誰がやってもいい。
その権利はすべての人にある。
修行あるのみ
今まで開き直ることをそれほどやってこなかった人にとって、開き直りの精神をマスターすることは簡単ではない。
この精神を自分のものにするには、修行が必要である。
まず、上で述べた4つの精神をすぐに思い出せるようにする。
自分に言い聞かせて、ふとしたときに頭に思い浮かべるといい。
次に、人から何か言われたときや自分が何かをやってしまったときに、4つの精神のうちのどれを使えば開き直れるかを考える。
状況に応じて開き直り方も変わってくるので、臨機応変に対応しよう。
これを何かあるたびに意識することで、次第に無意識のうちに開き直れるようになる。
そうなれば、開き直りの精神をマスターしたといえる。
この状態を目指して修行を積んでもらいたい。
最後に
この開き直りの精神については、良い面と悪い面があるだろう。
悪用する人間がいてもおかしくはないと思っている。
だがそれで構わない。
開き直りの精神をどういった場面で発揮するかは、人の自由である。
誰が何をしようと、私が関与するところではない。
罪を犯せば罰をうける。
それでもかまわないと思っている人間が、罪を犯す。
開き直りの精神は犯罪をも正当化してしまえるが、捕まれば当然罰を受けるので、それを良しとするかは本人次第である。
罰を受けたくないのなら、罪を犯さなければいい。
それは開き直りの精神とはまた別である。
という感じで、開き直りの精神については終わりです。
開き直るのが悪だとされているのは、迷惑を受けたくないからそう言っているだけで、自分という枠の中ではメリットしかないです。
少なくともいろんなストレスを無効化できるので、実践する価値はあります。
結局、「開き直りの精神」があることに気づけたっていうのが重要なのです。
これを知ってるかどうかで、今後の自分の行動は大きく変わると思います。
世の中に対して不満があったり、生きづらさを感じている人はぜひ修行してマスターしてください。
多分、だいぶ楽になれると思います。
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